華原朋美が完全復帰!絶頂期から暗闇を乗り越えた現在とは

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華原朋美のプロフィール

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「I BELIEVE」「I’m proud」などのミリオンヒット曲を持つアーティスト。

芸能界には高校3年の時のバイト先でスカウトされたことがきっかけで入ったそうです。

意外にも売れない時代があり、雑誌の巻頭を飾るなどの仕事をしていた時は“三浦彩香”その後アイドルの仕事をするようになり“遠峯ありさ”という芸名で活動していました。

アイドル時代に小室哲哉に見初められ、デビューするにあたり現在の華原朋美に変えたそうです。

本名は下河原朋美。

華原朋美の人気絶頂期

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1995年、当時恋人だった小室哲哉プロデュースの「keep yourself alive」でデビュー。

オリコントップ10入りし、次いでリリースした「I BELIEVE」で新人賞を総なめにし、新人としては異例のミリオンセラーを達成します。

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1996年に入り「I’m proud」をリリース。同曲もミリオンセラーを達成します。

NHK紅白歌合戦に初出場し1998年まで3年連続出場しています。

小室哲哉と別れるまでの4年間、アーティストとして順風満帆に活動していましたが、1998年末に破局してから華原朋美のこれまでの人生が一変してしまいます。

華原朋美が活動休止に至るまで

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1999年1月その事故は起きました。華原朋美が自宅で料理中、ガス中毒で救急搬送されてしまいます。

事務所を移籍しその後復帰会見するも、容態は思わしくなく休養することになります。

7月にシングルをリリース、8ヶ月振りのテレビ出演などを経て2000年カナダ留学。

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2001~2004年はアーティスト活動だけではなく、タレントとしてバラエティー、司会、声優など様々なジャンルの活動幅を広げていきます。

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2002・2003年にNHK紅白歌合戦に返り咲き、2004年には8年振りとなる日本レコード大賞のステージに立ちました。

華原朋美自身の10周年である2005~2006年は勢力的に活動します。

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10th Anniversaryツアーを開催し、ミュージカル女優としてデビューも果たします。

しかし2006年忙しさもあってか身体を壊し、公演中の舞台を一部休演するもやり遂げ、2007年暫く休養を取ります。

そしてその年の6月29日をもって所属事務所を契約解除されてしまいます。

華原朋美の活動休止、暗闇時代

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契約解除以降、表舞台から姿を消します。

そんな時、精神安定剤の大量摂取で華原朋美が救急搬送されたというニュースが飛び込んできます。2009年のことです。

翌年も、タクシーの中で意識が朦朧とする事態になり救急車で搬送されてしまいます。

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見かねた家族が閉鎖病院に強制入院させるまでの深刻な状況だったそうです。

後に華原朋美自身がこの時の事を“薬に依存していた”“暗闇の日々だった”と語っています。

華原朋美の復帰への第一歩!

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海外での自分磨きなどを経て2011年は復帰へ向けて活動を始めます。

以前の所属事務所に自身の歌を録音したCDを送って交渉し、2012年12月に再契約を結んでもらえることになり、復帰の番組もFNS歌謡祭に決まりました。

生放送で迎えた約5年振りの復帰のステージは大きな話題となりました。

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復帰後は、順調に音楽番組に出演したりライブを行ったりと活躍しています。

2015年はデビュー20周年の記念の年です。

約16年振りに小室哲哉から楽曲提供してもらった「はじまりのうたが聴こえる」が話題になっているようです。

今でも薬に頼りたい衝動に駆られることはあると言いますが、折れることなく頑張って欲しいですね。

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